「たとへばこんな怪談話 =チャット妖怪= 第1話」  …この年の夏はかなり暑かったせいか、まだまだ残暑が厳しく、もう じき10月だというのに、日なたにいれば、うっすらと汗ばむほどの陽 気であったが、空だけはもう既に秋の空であった…  そんな鰯雲たなびくある日、庄兵は縁側に筵を敷いて梅の実を干して いた。  まだ青い梅の実は、丸々と大きな実を天日にさらしていた。  その隣で、梅の実の番人よろしく縁側に座布団を敷いてひなたぼっこ をしている三毛猫の姿があった。  その横で、今度は梅干し入った瓶の蓋を取り、これも日にさらそうと している庄兵の姿があった。  梅の実は今年の冬には半分は梅酒になり、半分は梅干しになる予定で ある。  また、梅干しを瓶から出して干すのは、天日にさらすことにより、梅 干しの味を一層味わい深くするためで、こうして年に一度天日にさらし ておき、5年ほど経てば、美味しい梅干しになると祖母から聞いたから である。  こんな爺臭いことをしているが、秋山(旧姓=星野)庄兵は今年で3 2歳になる、今年の夏に秋山総本家の当主の座に収まったが、まだまだ 嫁さん募集の若い男であった。  「こんなもんだろう…」  一通り、瓶の中の梅干しを筵の上に並べ終わると、庄兵は一息ついた。  「そうね…後は日のある内に、一度ひっくり返しておけば良いわね…」 と、庄兵の耳元で祖母静の声がした。  …庄兵の祖母静は5年前に亡くなっていた…  庄兵は数年前、ふとしたきっかけから、自分の守護霊である今は亡き 祖母静の霊と話が出来るようになった。  それ以来、静は時には庄兵の側に姿を実体化させたり、時には庄兵の 耳元で、庄兵に色々助言するようになった。  そのため、庄兵は若い癖に古いことを知っていると人に見られるので、 庄兵を良く知らない人の目には、庄兵が見かけより年を取っているので はないかと疑われ、若い女性が近寄って来ないのである。  しかし、当の庄兵は元々鈍いのか、そんなことはお構いなしであった…  「その後は、日が暮れる前に取り込んで、梅干しには塩と赤シソの葉 を追加すれば良いんでしょ?塩は赤穂の荒塩だよね?」  「そうそう…」  いつの間にか庄兵の隣に寄り添う用に実体化した静は庄兵の問いかけ に目を細めて頷いた。  庄兵の前に実体化した静の姿は、静の若い頃の姿だそうで、着物姿の 髪の長い美人の姿であった。  いつぞやは、通りすがりに霊能者に呼び止められ、「貴方には、若い 女性の霊が憑いている」と言われて、静が慌てて元の姿に戻り「あっ… 貴方の守護霊の御婆様でしたか…」と謝られて、お互い苦笑いをしたこ とがある。 * * * * * * * * * ---------------------------------------------------------------- User ID = AKIYAMA Password = ******** パスワードを認識しました。 いらっしゃいませ、秋山庄兵さん。 User Level : Level=2 最終ログイン : 95/10/06 23:08:06 今回ログイン : 95/10/13 23:48:20 いらっしゃいませ、横浜ベイサイドネットワークへ、このネットは貴方 に素敵な情報を提供できる場所です。 ----------------------------------------------------------------  日中はまだまだ厳しい残暑であるが夜は秋風が体に心地よい金曜の夜、 相変わらず仕事が忙しくて、”ハナキン”と洒落込めない庄兵は、家に 帰る早々パソコンネットにアクセスしていた。  庄兵がこのネットの存在を知ったのは、つい数カ月前、庄兵が秋山本 家の家督を相続してまだ間もない頃、秋山家の資産や戸籍の確認等でし ばしば横浜の市役所を訪れていた際に、偶然このネットのシステムオペ レータであるマクダエル氏と知り合ったのがきっかけである。  マクダエル氏は横浜の山手に居を構え、フリーライターとして海外の 雑誌に執筆をしている人物であった。  日本贔屓の彼は、庄兵が横浜の古い家系の末裔と聞くと、庄兵の家系 や一族に興味を示し、度々庄兵の家を訪れては、秋山一族のことを聞い ていた。  そのため二人は仲良しになり、未だに妻が居ない庄兵はマクダエル夫 妻の家にしばしばご馳走になりに行ったりする事があった。  そんな二人の連絡手段が彼の開設する草の根ネットであり、ネットの メンバーに飲食店のオーナーや外国人が多いため、その話題は、よその 草の根ネットと一風変わった毛色を示していた。 ---------------------------------------------------------------- *メールが5通届いています。 ----------------------------------------------------------------  ディスプレイ上の表示を見て、「あちゃー」と庄兵は右手を顔に当て た。  ここしばらくは仕事が忙しくて、ネットにアクセスするのは実に一週 間ぶりであったからだ… ---------------------------------------------------------------- Mail 001 User ID = RYUSIN  秋山様  11月の予約の件了承しました。料理の方は私が腕をふるいますから、 楽しみにしておいて下さい。 中華飯店龍神店長 龍昇天 Mail 002 User ID = MAC  Dir 庄兵  この前、頂いたクコ酒をワイフに呑ませたところ、大変気にいったと のことで、申し訳ありませんが、また持ってきていただけませんでしょ うか?(^^;) マック ・ ・ ・ ----------------------------------------------------------------  電子メールを一通り読んで、返事が必要な物にはそれに対する返事を 書き終え、いざボードを読もうとすると。 ---------------------------------------------------------------- *電報が届いています。 [To ID ] = TOMOE : 秋山さんチャットしましょ!巴(^^)/ ----------------------------------------------------------------  と、電報が飛び込んできた。この電文を読んで、庄兵は  「…またか…」 と、思った。この電報の主は庄兵がネットに入ると大抵チャットに誘う 人である。  ボードに書き込みはしない人だが、庄兵がネットに入るといつの間に かネットに入っていて、庄兵をチャットに誘うのである。  この"TOMOE"と言うユーザー、今までのチャットの会話から、どうやら 女性らしいことまでは判っているが、とにかく大の話し好きで、一度チャ ットを始めるとなかなか解放してくれない…過去何度かチャットをしたが、 一旦始めると、大抵夜明けまで付き合わされる羽目になる。  庄兵はタイピングが遅いので、チャットは嫌いであった。  そのため、何度もチャットを断っているのだが… ---------------------------------------------------------------- *電報を送ります。 [From ID ] = TOMOE 電文をどうぞ。 = 今日は未読が多いので、また今度にして下さい。 *電報が届いています。 [To ID ] = TOMOE : やーだ。(^^)チャットしましょ。 *電報を送ります。 [From ID ] = TOMOE 電文をどうぞ。 = 勘弁して下さい。(;_;) *電報が届いています。 [To ID ] = TOMOE : ここ1週間ばかりご無沙汰してたでしょ?だから、 チャットしましょ。 *電報を送ります。 [From ID ] = TOMOE 電文をどうぞ。 = まだ、晩御飯食べていないんです。勘弁して下さい。 (;_;) *電報が届いています。 [To ID ] = TOMOE : だーーめ!(^^) ----------------------------------------------------------------  「まあ…また、この人…」  庄兵がその声に気づいて目線を声の主の方に向けると、そこには静の 姿があった…静は、やはり明治時代の生まれであるせいか、以前はパソ コンやパソコンネットのことに関して興味を示さないどころか、返って 拒絶反応を示し、庄兵がパソコンのディスプレイに向かって居る気が知 れないと、いつも言っていた。  しかし少し前、たまたま静の知っている事柄を庄兵が静から聞き出し ネットに書き込むことによって、相手に感謝され、静の知恵がパソコン ネットに生かされることを知ると、最近は静も庄兵がネットをアクセス することを拒絶しないばかりか、ネットの書き込みを見てあれこれ意見 を言うようになった。  「庄兵さん、さっとさっと断りなさい。先月、電話料金の請求額を見 て驚いていたのは誰でしたっけ?」  「…はい」  静に怒鳴られ庄兵は何とか理由を付けて断ろうとしたが、結局押し切 られて、 ---------------------------------------------------------------- *電報を送ります。 [From ID ] = TOMOE 電文をどうぞ。 = じゃ、2時間だけですよ! *電報が届いています。 [To ID ] = TOMOE : はーい。(^^)/ ---------------------------------------------------------------- と、時間制限付きでチャットを始めたが、結局、ずるずると夜明けまで チャットに付き合わされてしまった…  翌日の昼、寝ぼけ眼で遅い朝食兼昼食を済ませると、書斎のパソコン から昨晩のログをフロッピーディスクに移し、居間にノートパソコンを 持ち込んで、ログの整理を始めた。  ログの整理を初めてすぐ、玄関の呼び鈴が鳴った。  庄兵が出てみると、マクダエル氏(マック)がばつが悪そうな顔をし て立っていた。  「ハイ、マック。どうしたの?」  「ソーリィ…庄兵、ネットのメール読んでくれたかな?」  「ああ…」  庄兵は、今し方整理を始めたログの中に、昨晩のマックの電子メール を思い出した。  「実は…、ワイフが庄兵のクコ酒をまたどうしても呑みたいって、ご ねて…すまないけど、また分けてくれないか…?」  庄兵がクコ酒や梅酒を漬け始めたのは、ほんの2年ほど前からである、 今住んでいる秋山邸には、先祖の知恵で、色々な薬草や食べられる草が 植えられていた。  先代の本家の主である慎太郎(庄兵の義理の父)が今の住まいを建て るとき、整地され、大半は全滅したが、クコや柿,梅の大木はかろうじ て生き残った。 その梅やクコの実を利用して梅酒やクコ酒を漬けるこ とを教えたのは、静であり、先祖代々の秘伝の製法を庄兵に伝えたおか げで、始めたばかりの庄兵でも、近所の人々が欲しがるほどの美味しい 梅酒やクコ酒を作ることが出来たのである。  「なんだ、そんなことか、おやすいご用だ、まあ、上がってくれ」  庄兵は、マックを家に招き入れた。  「少々散らかっているが、そこに座って待っててくれ」 と言って、庄兵はマックを居間に案内した。そして、庄兵はマックが持 参したワインの空き瓶を手に台所に入っていった…庄兵がクコ酒をワイ ンの瓶に詰めている間、手持ちぶたさのマックは部屋の窓から庭を眺め ていたが、やがて居間のテーブル上に、庄兵のノートパソコンを発見し、 覗き込んだ。  「ん…?ネットのログの整理をしていたのか…」 と、マックは呟くと、ノートパソコンの画面をスクロールさせた。  …そして…  「Oh…?これは…?」 と言ったマックの表情が厳しくなった。  そうとは知らない、庄兵は、得意満面な顔をしてワインの瓶一杯に入 ったクコ酒を持って居間に入ってきた。  「マック、なんだったら、クコの実も…モッテイクカィ…?」 と言った庄兵の目は、厳しい表情をしたマックの顔に、声のトーンを落 とした。元々、マックの顔はギリシャ系の彫りの深い顔であり、庄兵が 最初見たときはいつも怒っている表情に見えた…庄兵がマックの表情を 読みとれるようになったのは、つい最近のことである。それほど、マッ クの顔は怖く厳しい表情だった。  「庄兵、このログは、いったい何時のものだい?」  マックはテーブルのノートパソコンを指さしていった。  「あっ…嗚呼、これ…昨日の晩だけど…ナニカ・・・?」  マックは、つかつかと庄兵の前に近づいてきて、ガシッと庄兵の肩を つかんで言った。  「ちょっと、調べたいことがあるんだ、このログのコピーをくれない か?」  「いいけど…」  マックは、ログのコピーを庄兵から受け取ると、クコ酒のお礼もそこ そこに帰っていった。  庄兵は、いつもの陽気なマックらしくない態度に首をひねった。 =続く= 藤次郎正秀